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日本の有名武将7選!激動の戦国時代を駆け抜けた最強の武士たちをご紹介

日本史の中でも特に人気の高い戦国時代。この時代には多くの戦国武将が存在しました。今回は特に有名な戦国武将7人をご紹介いたします。

戦国武将とは

江戸時代(1603年~1867年)は、長期間にわたり戦争のほとんどない平和な時代でした。しかし、この世界の歴史でも類のない平和な時代に至るまでの約100年間(諸説あり)は戦国時代と呼ばれ、各地で勢力拡大を狙う武将(戦国武将)たちが領土を奪い合うために戦闘を繰り返していました。

この時代には魅力あふれる戦国武将が多く存在し、様々なエピソードや現代生活に役立つ教訓を残しました。日本の歴史上の人物の中でも戦国武将は特に人気が高く、毎年様々な武将を主人公にした小説や漫画、テレビドラマやゲームなどが制作されています。

1. 毛利元就(もうりもとなり) (1497-1571)

安芸国(あきのくに・現在の広島県西部)の領主から、中国地方全域(本州西部、岡山県・広島県・山口県・島根県・鳥取県) を統一した戦国時代の豪傑。権謀術数(けんぼうじゅっすう・巧みに人をあざむく策略)に長け、稀代の策略家としても有名な武将です。
当時の中国地方は大内氏と尼子氏という二大勢力が覇権を争い、その間に挟まれた小国の領主たちが生き残りをかけて戦う熾烈(しれつ)な時代でしたが、元就は知略を尽くして両家を打倒し、中国地方を掌握し「西国の覇王」と呼ばれるようになりました。

戦国時代の三大奇襲戦の一つとも言われ、策略家・毛利元就の名前を日本中にとどろかせた「厳島の戦い」は、なんと世界遺産・厳島神社がある厳島(宮島)で繰り広げられました。風光明媚なこの場所でおよそ500年も前に壮絶な戦いが行われたなんて信じられませんよね。

毛利元就の墓所

2. 武田信玄 (1521-1573)

甲斐国(かいのくに・現在の山梨県)の戦国武将。軍政・外交・謀略すべてに優れた名将で、数々の武勇伝を残しました。信玄の率いる騎馬隊は、圧倒的な強さを誇り、戦国時代最強と言われています。

信玄が掲げた戦における4つの心構え「風林火山(風のようにすばやく動き、林のように静かに構え、火のごとく激しく攻め奪い、山のようにどっしりと構えて動かないという意味)」という言葉は信玄とともに有名になりました。

数々の武勲をあげた信玄には猛々しいイメージがありますが、日本で初めて金貨を鋳造(ちゅうぞう)したり、治水工事を行ったりして甲斐国の経済発展に貢献した良き領主でもあり、地元山梨県では、現在も信玄公と呼ばれ慕われているんですよ。

3. 上杉謙信 (1530-1578)

越後国(えちごのくに・現在の新潟県)の戦国大名。戦国最強と言われた武田信玄と互角に渡り合うほどの強さを誇り、「軍神」、「越後の龍」と恐れられるほどの戦上手として知られています。
非常に信仰心のあつい武将としても有名で、自らの居城である春日山城内に専用のお堂を建て、日々読経をするほどだったとか。

圧倒的な強さを誇った謙信は、戦国武将の中でも屈指の酒豪としても有名です。生きるか死ぬかの戦国時代に多くの戦を不敗で切り抜けた越後の龍も酒の誘惑には勝てなかったようで、49歳で亡くなった原因は度を越した飲酒だったという説もあります。

軍神・上杉謙信をまつる上杉神社(山形県 米沢市)

4. 織田信長 (1534-1582)

あまたの戦国武将の中でもカリスマ的存在で不動の人気を誇るのが織田信長。当時の常識にとらわれない斬新な考えの持ち主で、少人数で敵の大軍に勝利したり、鉄砲を用いた戦術で、戦国最強と言われた武田軍の騎馬隊を打ち負かしたりするなど数々の武勲を上げました。また、兵農分離や、楽市楽座(既存特権を持つ商工業者を排除して自由取引市場をつくった)を実施したりするなど様々な改革を行い、経済の発展に寄与しました。

天下統一まであと一歩のところで無念の死を遂げ、歴史の舞台から消えてしまったことから、もし信長が天下を統一していたら今の日本はどのようになっていたかと想像を膨らませる人も多く、現在に至るまで小説や映画、ゲームなど様々なメディアで引っ張りだこの信長。人気・知名度ともにNo.1の武将と言えるでしょう。

清洲公園にある織田信長の銅像

5. 豊臣秀吉 (1537-1598)

農民から天下人に上り詰めた人物。織田信長、徳川家康と並び、戦国の三英傑の一人に数えられています。
織田信長に仕え天下統一事業に貢献し、信長の死後は、その後継者として天下統一を成し遂げました。

日本史上まれに見る立身出世を遂げた秀吉の人気の秘密は「人たらし」と言われるほどの人心掌握術。上司が苦境に陥った際には、率先して困難に立ち向かう。むやみに戦うことはせず、敵をうまく味方に取り込んだり、部下の失敗は責めずに信頼関係を築くことに務めたりする...など、秀吉の人柄を伝えるエピソードには現代のビジネスマンがお手本にしたくなる点が多々ありますよ。

秀吉が築いた大坂城を再築した、現在の大阪城

6. 徳川家康 (1543-1616)

三河国(みかわのくに・現在の愛知県東部)の領主の長男として生まれた家康は、幼い頃は今川家の人質として不遇の時を過ごします。今川氏滅亡後は織田信長と手を組み、三河を平定。
前述の豊臣秀吉の死後、天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の戦いに勝利し、長かった戦乱の世に終止符を打ちました。1603年に征夷大将軍(武家政権の首長)に任命されると、およそ260年続く江戸幕府の礎を築きました。

世界でも珍しい戦乱のほとんどない時代をつくった英傑・家康は死後神格化され、「東照大権現」として日光東照宮にまつられています。

家康をまつる日光東照宮の陽明門

7. 伊達政宗 (1567-1636)

出羽国(でわのくに・現在の山形県と秋田県)の戦国武将。独眼竜の異名で知られる奥州(おうしゅう・現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県の一部)の覇者。
幼い頃に病で右目を失明するも、へこたれることなく武芸や学問を学び、18歳にして伊達家を継ぐと、奥州の地から天下を目指しました。残念ながら、天下統一は豊臣秀吉の手でなされ、政宗の夢はついえてしまうのですが、家康が江戸に幕府を開くと初代仙台藩主(領地(藩)を治める領主)に任命され、その後は仙台藩の平和と繁栄のために尽くしました。

勇猛果敢な武将としても有名ですが、料理好きなグルメ武将としても知られています。三代将軍徳川家光が仙台を訪れた際には自ら包丁を握って豪華な料理を振る舞ったとか。すりつぶした枝豆で作った餡を絡めた仙台名物「ずんだもち」も政宗考案の料理のひとつなんですよ。

いかがでしたか?戦乱の世を生き抜いた武将たちには紹介し切れないほどのたくさんのエピソードがあります。興味を持った武将がいたらぜひ、どんな人物なのか調べてみてくださいね。

※本記事の情報は執筆時または公開時のものであり、最新の情報とは異なる可能性がありますのでご注意ください。

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